達 人

 仕事でも、スポーツでも、芸術でも、すべてのものは、人間と しての成長が無ければ、決して本当の上達はありません。

 その道の達人と言われる人はみな自分への執着がありません。 自分というものが無くなるまでに、我を忘れて努力し続けた結 果なのでしょうか。それとも敵は己にありと、己との戦いをし た結果なのでしょうか。

 更に達人と言われる人達の共通点は、「人にやさしく、自分に 厳しい」ことです。

 人へのやさしさも本気になれば犠牲を伴うことですから、自分 への厳しさにつながってきます。だから人へのやさしさも、実 は自分への厳しさなのかもしれません。しかし、本人にとって は、人間として当然のことを自然にやっているくらいの思いか もしれません。それも人間の限界との戦いの努力の中から身に ついた人間の基本なのではないのでしょうか。

 「あまえ」は堕落の始まりです。「あまえ」は言い訳の名人を つくります。そして自分にやさしく人に厳しい人間が出来上が ります。「才能は1%努力は99%」というエジソンの言葉を待つ までもなく、努力がすべてを決めることは言うに及ばずですが、 その努力は「わざ」だけではなく人間としての「心」を磨かな ければよい成果は出ては来ません。

 なぜならば、「心」が「わざ」を使うのですから「心」の方が 大切なはずです。

 「わざ」の上達は「心」の成長と両輪のものなのではないでし ょうか。



 とかく人は目先の「わざ」だけを磨こうとします。
 「心」を磨かなければ、その「わざ」は死んでしまいます。
 達人の「わざ」は生きています。